2009年06月26日
天上のネバーランド

マイケルジャクソン氏が亡くなったというニュースが寝起きのぼんやりした意識を叩き起こした。60年代のモータウンミュージックに興味を持てば必ず彼の存在にブチ当たる。当時のジャクソンファイブを最初に聞いた私は「ずいぶん歌のうまい子供がいるもんだなあ」と思ったものだ。ソロに転向してからも独特の振りと歌いっぷりでファンを魅了した彼は当然マスコミの餌食となり、報道がエスカレートすればするほどにその奇怪さばかりが印象的となってしまった。有名人が故の宿命とはいえ、それがもとで極度の人間(大人)不信に陥りながらもマスコミの力を借りなければ生きてはゆけなかった彼の苦しい心情には、亡くなってしまった今深く同情せざるを得ない。私の一番好きな曲は「She is out of my life」。ソロになってからの大ヒットアルバム「Off the wall」に収められたバラード。名匠クインシージョーンズプロデュースの名曲だ。独立する前のジーンズメーカーの営業時代に夕方のひどい渋滞のなか偶然FENで聞いて感動したのを今でも思い出す。愛する彼女が自分の生活の中から消え、ナイフで切られたようにつらいという内容だと記憶している。本当は愛してやまない人々から最後には道化にされた彼の心はまさにナイフで切られたようにつらかっただろうと思う。しかしもう今日からはそんな悪い事も終わり、彼は天上のネバーランドで心安らかに過ごしたとさ。めでたし、めでたし。
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16:46
2009年06月25日
中山道行脚 軽井沢〜岩村田編

今月初旬に碓氷峠の難所を超え精根尽き果てたかに思えたが、先日の土曜日には再び中山道を歩き始めていた。今度は軽井沢宿から沓掛 追分 小田井の宿を抜け岩村田宿に至るお約束の約20Kmだ。朝7:59の信越線に乗り横川でバスに乗り換え軽井沢に着いたのが9時すぎ。朝の少々肌寒い軽井沢は空気が澄みとてもすがすがしい。この日も先日の峠越えの日同様梅雨の合間の晴天が予報されまさに旅日和だ。それに難所の苦痛を抜けた身にとっては多少の起伏などへっちゃらで歩みは快調そのもの。沓掛宿いわゆる中軽井沢を通過する際には大好物の「かぎもとや」の蕎麦におおいに触手が動いたが、まだ10時半をまわったばかりということもあり泣く泣く断念。そしてその先の上田信金のあたりから道は二手に分かれ、車の往来の激し旧18号を避けるように中山道は続いていた。街道は追分宿を抜けるまで18号を縫うように展開するのだが、実はそこが今回の旅の醍醐味となった。特に旧18号が18号バイパスと合流する地点から始まる借宿という地区を抜けて追分宿の少し先の千が滝湯川用水温水路に至る道すがらは私にとっては今までたどった中山道のなかのベストといえるかも知れない。借宿から追分宿ではいわゆる信州の田舎の風情が古い家並とともに十分堪能でき、追分宿を過ぎて千が滝湯川用水温水路に至っては右に浅間山を望み深い緑に包まれた道がその日のドライな日差しに照らされ、時たま現れる今風な民家の白があたかも以前旅したアメリカはサンフランシスコのさらに北部の田舎道と見まごうばかりで私にはとても感動的だった。そして滝湯川用水温水路の清らかでゆるい水の流れは思わず腰をおろして見入ってしまうほどにすばらしく、その光景を独り占めしてしまっていることに何だか申し訳ない気持ちになってしまうほどであった。長野方面は好きなのでよく車で回遊するが何気なく通過する18号の脇にこれほど感動的な光景があったのには驚いた。その後は多少へたりながらもザッツ宿場的出で立ちの小田井宿を通過し、予定通り4時間ほどで今回の終点岩村田宿に辿り着けた。今回の旅では借宿から追分のジャパンから国道をまたいだとたんのアメリカの情景が私にとっては大収穫で今でも頭からはなれない。歩く旅を始めてまだ間もないが、その度ごとに普段見えない物が見えこれほどまでに深い印象が残るとは思ってもみなかった。これも年齢を重ねてから始めたからこその産物かも知れない。ただこの先の街道へは交通の便が悪く行くのも帰るのも時間がかかりそうなのが悩みのたね。しかしその作戦を考えるのもまた楽し。来月は中山道から少し浮気をして北国街道をつたって小諸 田中 海野 上田方面を行くのも悪くないかも知れない。
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17:00
2009年06月15日
中山道行脚 「嗚呼これが碓氷峠か!」 後編

ぽっかりと口を開けた旧中山道碓氷峠の入り口に立ち、いきなり始まる道の険しさに戸惑いながらも「行くしかない!」と決意した私と弟子S君は無言でその道を登り始めた。道といっても人ひとりが何とか歩けるわだちといったほうが適当で、斜度45度を超える登り坂は今では通行もほとんど無いのだろう、草は生え放題だし倒木も行く手を阻むがごとく道に横たわっている。途中からは直径20~30cmはある石が無数に散らばり登っても登ってもとどまる気配は無く、急激な体力の消耗から休憩の数もしだいに増えていってしまった。ひと息入れては持参のガイドパンフレットとHPのプリントアウトに目をやりポイントとなる石仏などを確認するが、なかなか見えてこない現実に気持ちもだんだん不安になって来る。しかしここで諦めてはと登って来た急勾配を振り返りまだまだ続く悪路を睨みつけて登り続けること2時間ほどだろうか、落ち葉の堆積した尾根の平坦な道にさしかかりここへ来て初めてふたりがならんで歩けることができた。一時の平和を味わいながらも「俺は信念というお題目のもとでまわりに迷惑をかけながらバチに当たり続けて来たようなもんだ。何だかこの道は俺の50年に似ている気がする。多分こんな平和な時なんてすぐ終わるだろうね」とS君に話したとたん案の定道は再び厳しくなってしまった。峠の頂上にある熊野神社まで最後の2Kmに至ってはふたりの体力はすでに限界に近く、さらに幾重にも続く登り坂に恐怖症的心境に陥っていた。しかし5m登っては休むを何度か繰り返すうちに上空が次第に明るくなり、最後の坂を登った先に遂に熊野神社の黒い屋根が見て取れた。横川駅を出発して、途中道を間違え、想像をはるかに超えた悪路に往生しながらも4時間かかって到達したその瞬間は達成感ではなく「嗚呼、これでもう苦しまなくて済む!」という解脱の念が体中を支配した。そして最後の登り坂となった熊野神社の石段を手すりにもたれながら登りお参りを済ませてからの軽井沢宿(いわゆる軽井沢銀座)までの下りの4Km 1時間は何だか夢からさめる間際の朦朧とした感覚であまりよく覚えていない。ただ軽井沢銀座に近づき雑踏にまぎれるにしたがって何かが濁ってゆく気がした。こうして無事碓氷峠越えを終え家に帰ったわけだが、それから数日いや今でも何となく気持ちの置き場に困っている。下界に降りた瞬間から濁り始めた心は悪路を克服した記憶をどんどん消そうとし、普通なら峠越えの事実が自信となりより張りのある毎日が過ごせようものが、あたかもそれが夢であったかのようにさえ思えてしまうのだ。旅なんてみんなそうだろう、難所とはいえ峠をひとつ越えただけで開眼していたら碓氷峠は大にぎわいだ、などと娑婆の濁った考えが当たり前になってゆく。さびしい限りだ。ただ熊野神社の宮司さんが語ってくれた「この峠を越えられたらあなたはこれから何でもできる」という言葉だけがこの旅と日常を繋ぎ止めてくれる唯一のものかも知れない。
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16:37
2009年06月08日
中山道行脚 「嗚呼これが碓氷峠か!」 前編

横川から軽井沢に至る道は18号碓氷バイパスか、その以前だとあのクネクネした道で途中信越線のメガネ橋が見え猿がよく出没する旧18号となるだろうか。しかしそのもっと昔は中山道の峠越えだった。東海道の箱根とならび街道の難所の2大巨頭らしい。中山道を歩こうと思ったらいやでも通らなくてはならないその難所にとうとう昨日挑戦してきた。今ではインターネットでその道中の様子やポイントを詳しく解説しているホームページがいくつもあるので下調べを十分済ませ、幸い同行を快諾してくれた弟子S君と朝9時台の信越線で先日踏破した横川まで向かった。ここのところのぐずついた天気では碓氷峠特有の濃い霧や低温が心配され一時は中止も検討したが、その日はそんな心配を一気に吹き飛ばす見事な晴れ。難所行脚のために条件だけはと神の粋な計らいにも感じられた。横川の関所跡を通過しほどなく坂本宿に到着。いかにもこれから山になりますと言わんばかりの勾配のきつい坂に宿のたたずまいがへばりついている。前方の丸いあたまの山と左から迫る妙義山は晴天の空に映えそれはもう美しく、坂道の辛さを紛らわしてくれるには十分だった。しかしその先で中山道と勘違いして入り込んでしまった林道で3Kmほどロスし引き返すはめに。絶対に見えるはずのない18号バイパスの陸橋が見えてきて不信感が頂点に達した時にたまたま通りかかった軽トラのおじいさんに諭されたから良かったものの、そのまま行っていたら遭難しないまでも最後には間違いに気付き、疲れ果てて碓氷峠越えなど断念していただろう。天気といい寸でのところでのおじいさんの登場といい何か神がかった気配に驚きつつもとの旧18号にもどり少し行くとまた旅人を惑わす分かれ道が。左は旧18号の名物カーブがまさに始まろうとする場所で、日曜日ということもありバイクツーリングの塊が次々と登ってゆく。右は至る霧積温泉の標識があり、いかにも街道らしい面持ちだ。しかしつい先程道をまちがえた恐怖からどちらの道に行くべきか決め手を欠いたふたりはその分かれ道にある小さな食堂で休憩し道を尋ねることにした。店のおばさんが言うには左の旧18号を登りカーブの標識が「C-9」のところに旧中山道入口の看板がありそこから登れるとのことだった。ちなみに中山道を目指すも街道らしい誘惑にひっかかり右に進みあえなく霧積温泉でひとっ風呂あびて帰る人も多いとか。名物力餅をほおばりながらおばさんと色々話したがその笑顔の裏に「やれるもんならやってみな」みたいな雰囲気を若干感じたものの気にせずふたりは「C-9」に到達。そしてお約束の旧中山道入口の看板の奥にある道を見て「何だこりゃ!」と思わず叫んでしまいたい気持ちになった。旅人の侵入を拒否するがごとくの細い急勾配のケモノ道が上へ上へとのびているではないか。道は険しいとは聞いていたが、いきなりの惨状に「嗚呼これが碓氷峠なのか!」とあきらめにも似た気持ちになりつつもあのおばさんの薄笑いが脳裏をかすめたのだ。
次回につづく。
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18:32

